日本の電力自由化の変遷(1)
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日本では、戦後9つの巨大電力会社(のちに沖縄電力を加えて10電力会社)が、全国を9つの地域に分け、それぞれ地域で独占的に営業してきました。

以後現在まで一度も大きな制度改革がなされることなく推移してきました。
競争もなく巨大な力をつけた電力会社は、エネルギー政策を担う国より力をつけてきたと言っていいでしょう。

戦後から寡占状態が続く電力業界

電機事業制度見直しのきっかけとなったのが、東京電力(現:東京電力グループ)福島第一原子力発電事故と言えるでしょう。

この事故が起こる前までは、電力業界の政治的強さは、国の規制当局をコントロールするほどの強力な力を持ち、それが安全規制において緊張感のゆるみを助成したと言っても過言ではないでしょう。

国会において、福島第一原発事故の調査報告書提出で、規制当局と電気事業者の立場が逆転したと言えましょう。

世界の電力業界は、1990年代以降、欧州で電力自由化が進み、消費者が電力会社を選べる時代となりました。
一方日本の電力制度は世界に取り残され、依然として寡占化が進み、消費者は割高な電気料金を払っていたのです。

またドイツを始め欧州各国は、原発に頼らず再生可能エネルギーである風力発電、水力発電、バイオマス、地熱発電、太陽光発電などに積極的に取り組んできました。

日本では、消費者は依然として電力会社は選べず、一方的に高い電気料金を払っていたのです。

1990年後半には、こうした電力制度の見直しや、エネルギー政策を変えて行こうとの動きはありました。

確かに2000年以降、経産省と電力会社で綱引きはありました。
2002年には発電する会社と、送電する会社を分けようとする、つまり「発送電分離」の議論がなされたのは確かです。

また2004年には、原子力の「核燃料サイクル」の見直し議論もなされました。いわゆる「原子力論争」と呼ばれているものです。

しかしこの2度に渡った動きも、電力会社は反対勢力を押し切って、主張を通すことに成功しました。
電力会社は地域独占体制を維持し、核燃料サイクル政策を推進したのです。

 
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